福井 朝倉遺跡

2014年2月16日(日)
 福井県の朝倉遺跡に行く機会があって、楽しんできました。去年はソフトバンクのCMにもなった有名な場所です。

 朝倉氏は但馬の豪族ですが、1467年の応仁の乱の活躍をきっかけに、福井県一乗谷(いちじょうだに)に本拠を移しました。5代103年にわたり越前を治めました。

 一乗谷の町は当時、京都、大坂に続いて、人口数万人の大都市だったそうです。

 町には遊郭が2か所あり、朝倉家を中心に、上級武士、中級武士、下級武士の家々、様々な職人や平民が住み、栄えたそうです。

 ところが、戦国の世の1573年に織田信長の進軍を察知し、一夜のうちに全員が町を離れ、織田軍はもぬけの殻になった一乗谷に火を放ち、大都会は三日三晩、燃え続けたといいます。

 案内の人の話を聞くまで、そういう遺跡があることさえ知りませんでした。

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 一乗谷の町は、昭和の時代まですっぽりと土砂に埋もれていて、発掘が始まったのは昭和42年といいますから、300年間埋もれていたことになります。

 井戸だけがたくさん発掘されています。家屋あとには、全部の家に井戸が必ずあると言います。水が豊富だったのでしょうね。

 朝倉家より川に近い家にはトイレが設けられていません。不浄なものが朝倉家の水に交じることを懸念して、そのつど砂などで処理していたとか。
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 復元ではなく復原だそうで、発掘して出てきた基礎石だとか井戸だとかを使うため、復原はまだ一部だけです。染物屋と思われる家屋の中には様々な染壺があります。
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 圧巻はこの道路です。画像の手前の位置から向こうを見ると、遠くからこの町にやってくる者の姿がすべて見えますが、向うからはまるで見えません。

 敵の侵入をいち早く知るための構造らしいです。これは復原されていて、この不思議を体験することができます。土木工学にたけた職人がいたんでしょうね。
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 模型がつくられていました。当時の大きな町の全貌が分かります。
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 町人の住まいもうかがい知ることができます。
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 とても、ここでは書ききれない歴史とロマンが感じられる遺跡です。復原された土塀の規模の大きさ、広大なエリアのあちこちに遺跡が少しづつ復原されています。もっとよく調べて、暖かくなったらまた訪れたい場所です。

ソフトバンクのCMです。
http://www.youtube.com/watch?v=-OhqdGXpikc


 

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by vient49 | 2014-02-16 17:23 | 福井 | Comments(0)

何かにそっと呼び寄せられるような ※ブログ記事をリスト形式に変更してみました。2023/05/03


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